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音信不通でごめんなさい。
  広東語講座でもシンディさんに「始動です」と言った後四週間も音沙汰なしとはどういうことか、と叱られてしまいました。けれども一応理由のあることなので、許してください。最初の二週間は高熱を伴う体調不良で喉もやられ行きも絶え絶えながら合唱コンクールと文化祭があるため休むこともできず幽鬼のような状態で勤務しており(そのせいで文化祭後に生徒が書いた感想にも、かなりの人数が楽しかったことより「先生が死にかけだった」ことを書いていました……)、次の二週間は松山市教育研究大会の国語の会場校になっていたためその準備に追われつつ毎日のように事件が起こって夜更けに帰宅……というありさま。なので今週になってやっとジュダ先輩の話に取りかかったというていたらくでございます。コミケも受かってたのに連絡もできませんでした。

 30日(木)、東1ホール  Lブロック−53  GOTTA FIGHT

 よろしくです。
       
 

| 星野ケイ | 星野ケイ | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
てなわけで「ジュダせんぱいと提督の話」

 南の海に、その名も高き伝説の大海賊。
 カムディン、と呼ばれるその偉大な海賊の頭領は、人生に三度の絶体絶命を経験した、と言われている。
 これはその、三度目の絶体絶命の陰で起こった───些細な挿話のひとつ。

              1

 グラン=ガッシュはうんざりしながら血まみれの甲板を歩き回っていた。
 ここは、ついさっきまでは立派な海賊船だった。しかし、今ではただの廃墟に過ぎない。そのうえ、船内には血と硝煙の匂いが充満している。
 死体を片づける兵士たちも悪臭にむせ、しきりに咳こんでいた。海賊船というにはかなり大型の、立派な船だった。しかしそれも今は、三本あるマストがどれも中央あたりからぽきりと折れ、破れた帆がそこに未練がましくまとわりついている。船室にも砲弾が直撃したらしく、船の中央にあった居住区画は跡形もない。甲板も、もちろん砲撃で穴だらけだ。こんな満身創痍の船が、まだ海上に浮かんでいるのが奇跡というべきか。
 そして瓦礫の山と共に、あちらこちらに山積みになった、海賊たちのむごたらしい死体。
 そのほとんどが、砲撃でやられたのではない。一対一の肉弾戦で殺されたものだ。ある者は首を切り落とされ、またある者は頭蓋骨を打ち砕かれ。たった今まで続いていた阿鼻叫喚の地獄の光景が、彼らの死に顔に恐怖の形で張りついていた。
 ────ここまでする必要があったのか。
 ガッシュの胸には何度もその問いが去来していた。
 だが、その問いに対する返答はすでに上司から与えられていた。ドルフ将軍は断固とした口調でガッシュの言を退けたのだ。海賊は全て殺し尽くす、それが我々の本分ではないか、と。
 しかし。
 うず高く積まれた死体の山が、ガッシュの心を重くする。
 白旗を掲げたではないか、この船は。生き残った海賊たちもみな甲板に並んで両手を挙げ、恭順の意を示していた。俺を縛り首にするかわり部下の命は助けてくれ、という船長のどら声さえ、こちらの艦には届いていたのだ。
 それでもドルフ将軍は断固として首を横に振った。降伏なんぞ呼びかけた覚えはない。向こうが攻撃をやめたから、どうだというのだ。砲撃を続けよ。完全武装の兵士を海賊船に乗り移らせろ。殲滅戦だ、皆殺しだ。一人も逃すな。
 いや、ただ一人。カムディンだけは生け捕りにせよ。大事なのはそのことだけ。カムディンを捕らえるのだ。カムディンを。伝説の大海賊を。
 カムディンを逃がすため、この船が囮になった───と気づいたのは、殺戮が全て終わってからだった。小物と思い見逃した小船にカムディンが乗っていたらしい、とわかったときのドルフ将軍の形相ときたら、まさに悪鬼もかくや。
 いや、そんな表現はいけない。正義は我らにある。そしてドルフ将軍は、正義の側の代表者なのだから。
 だが───あれを悪鬼という以外、どう形容しろというのだ。
「ガッシュ提督」
 呼びかけられて、振り向くとそこには、困り果てた顔の伝令が立っていた。
「ドルフ将軍からのお言葉です。あの……生真面目に雑魚の死体をいちい検分している暇があったら、さっさとカムディンの追跡にかかれ、と」
 言いにくそうに伝言を口にする部下から目を上げてみると、ドルフの乗った指揮艦〈暁の勝利〉号が、今しも回頭しようと巨大な船体を震わせているところだった。
 なるほど。グズな提督は置き去りというわけか。
 ガッシュは苦い笑いに口端を歪めた。
 皇帝の覚えめでたいドルフ将軍としては、獲物は常に最高のものでなければならぬ、ということらしい。あんなにやいのやいのと殺人遊戯を繰り広げさせておきながら、この船にカムディンが乗っていないとわかったとたん、将軍はまるで興味を無くしてしまった。ならば皆殺しの命令も、その時点で撤回すればよかったのに。気の毒な海賊たちは殺され損ではないか。
 そもそも、ドルフ将軍とはどうしても気の合わないガッシュだった。人はそのことを、さも不思議だというふうに言う。謹厳実直、清廉潔白な提督と、任務第一で勇猛果敢、賄賂や汚職が大嫌いの龍騎将軍。私的なことはともかく、仕事のうえでは意気投合できるのではないか、と。
 だが、違うのだ。根本的なところで、何かが違っているのだ。
 そのことはお互いがわかっていて、だからどうしてもうまくいかないのだった。これではだめだ、とガッシュも思う。海に関する全ての軍事を司る龍騎将軍は、ガッシュの第一の上司だ。上司の命令は絶対だ。そういう教育を受けてきたし、皇帝の臣下である自分はそうあらねばならないとも思っている。だが、どうしても彼には従えない。むろん、職業上の命令には黙って従うけれど、そうすればするほど、心はますます離反してゆく───。
「あの……提督」
 もじもじしながら、伝令が言った。
「自分は今から、逃走したカムディンの船を追いかける。だから提督は第二母艦の〈白き峰〉に残りの兵士を乗せて、すぐ自分を追いかけてくるように。との、将軍の仰せでした。この船については放棄。死体の始末も無用、とのことで。ですから……」
「わかった」
 伝令に腹をたててみても仕方のないことだ。ガッシュは声を押さえて短く答えた。伝令は見るからにホッとした様子で、今度は死体の山を回って兵士たちに命令を伝え始めた。やれやれ、というような声が兵士たちからも上がった。引きずりかけた死体を放り出し、皆、いそいそと艦へ戻っていく。グラン=ガッシュ提督の命令だからとしかたなく従ってはいても、彼らとて、自分の手で惨殺した者を自分で片づけるのは嫌だったのだろう。ましてや、武装を解いて降伏している無抵抗の人間を、容赦なく殺さねばならなかったのだから。
 たちまちひとけの無くなった甲板を、ガッシュはそれでもなお、未練がましく死骸を見て回った。自虐的だな、と自分でも思う。それともこれは、無意味に殺された海賊たちへの贖罪のつもりか。
「……いや。ただの偽善だな」
 自分で自分に毒づいた。
 振り返って見れば、〈白き峰〉の甲板では士官たちが揃い踏みでオロオロして待っているのだろう。提督不在のまま発進もできず、声をかけようとしても果たせず、困りきっている彼らの心情はよく理解できるが、それでも敢えて振り返らない。
 元は船室だった残骸の向こう側をのぞきこむ。そこにもまた死骸の山があった。折り重なる死体に目を落として、ガッシュは眉をひそめた。どれもひどい死にざまだが、折り重なったいちばん上の海賊は特にひどかった。まだ若いだろうに。脳天を割られたのだろうか、頭の半面が血まみれになって顔の造作すらわからない。
 痛ましさに顔を歪めかけて。
「─────!」
 ガッシュは息を呑んだ。
 目の間違いか?
 いや。
 確かに、今。血まみれの死骸が身じろぎ、した。ような。
 声を漏らしかけて、危ういところで喉を両手で押さえた。そのまま、そろりと死骸へにじり寄る。胸をどきどきさせながら、震える指を伸ばし、首筋に触れた。
 やはり。感じる。
 弱々しい。けれども、脈がある。生きている。
「う……」
 ガッシュの指が触れたのを感じたのだろうか。瀕死の若者が、小さく呻き声を漏らした。ギョッとして、ガッシュは思わず後ずさってしまった。
 どうする?
 どうすればいい────。

              2

「ねえ、聞きましたか。グラン=ガッシュ提督の噂を」
「ガッシュ提督? というのは、宮廷はおろかこの国でいちばんの堅物じゃないか、といわれる、あの男のことですか?」
「そうそう。あれこそまさに石部金吉金兜というやつで。生真面目といえばあれほど生真面目なやつはおらず、物堅いときたら、この世に女という人種がいることさえ知らないんじゃないかといわれている、あの男のことですよ」
「へえ。あの男がなんかの噂になるということ自体、驚きですな。まさか、真面目が過ぎておかしくなったんじゃ?」
「というと」
「それはほら、あれですよ。皇太子殿下の感心しないふるまいやら宰相の黒い背後関係やらを公の場でなじったりして、それでクビになったとか」
「まさか! あの男にそんなことはできませんよ」
「そうですかねえ」
「そうですとも。ああいう忠義の軍人ってのは、自分の分をわきまえぬ言動はせぬものですからね。いくら尊き御方々の振る舞いが気にいらなくても、一言だって文句なんざ言うもんですか。噂ってのはそうじゃなくて、もっと艶っぽい話なんですよ」
「ほう! あの男にねえ!」
「ね? 驚きでしょう」
「縁談の話でもありましたか」
「いやいや、縁談なら噂になんかありゃしません。だいいち、あの男を娘婿に狙ってる貴族連中は多いでしょう。なんたってあれは、由緒正しいグラン家の跡取りですからね。しかも皇帝の覚えめでたい龍騎将軍の配下の中でも一、二を争う切れ者ときた。性格は謹厳実直の一言。人間としては面白みのかけらもなく、軍人としては非のうちどころのない、という」
「そうそう」
「ですがね。そういう男ほど、悪い女に引っ掛かると泥沼に落ち込んでしまうもの……」
「へーえ! 女!? あの男が!?」
「という、もっぱらの噂だっていうから、お安くないじゃないですか。いえ、誰一人として、その女の本物を見た者がいるわけじゃないようなんですが」
「では、どうしてまた」
「それがね。あのマジメ男が、最近になって妙にチョコマカと休暇をとりはじめたというんですよ。しかも、どかんと何十日という取り方ではなくて、一日二日と、チビチビと。けれども必ず一泊を挟むような休暇の取り方で」
「怪しいですな」
「怪しいでしょう。でもって、許可がおりるとすぐに、おつきの一人も連れず、サッサとどこかへ消えていくそうでして。そのときの様子も、いつものあの男らしくなくて、妙にウキウキしているようだ、とか」
「ほほう、ウキウキ!? とは、まさしくあの男には絶対似合わぬ形容ですな。……ということは、どこかに秘密の愛の巣を作っていてせっせと御奉仕を……」
「それ以外に考えられんでしょう」
「しかし、あの男がどんな顔をして女の耳に愛の言葉を囁くのか、ちょっと見てみたい気もしますな」
「いやいや、ああいう堅物に限って、惚れた女の前ではダラシなくメロメロになるのかもしれませんよ。ああ、そういえばかの御仁、今日もまた、宿下がりの願いを出してイソイソと帰っていったようですが……」

              3

 そんな宮廷のとほうもない噂話など露知らず。
 ガッシュはひたすら馬を駆っていた。
 目指すは、グラン家の別荘。祖父から継承したものの、宮廷勤めの忙しさにかまけて、普段は庭師と管理人に任せっきりの寂しい山奥のお屋敷だ。
 その管理人も、なんだかんだと理由をつけて都の屋敷へ移してしまった。夫婦者の管理人はキツネにつままれたような顔をしていたけれど、理由を詮索したりはしなかった。ただ、坊っちゃまのなさることですから深い理由がおありなのでしょう。食料庫はいっぱいにしておきますから、食事だけはきちんとなさいますように。と言って笑っただけだ。
 そうだろうか。本当に自分は、人にそれほど信用してもらえるような、正しい判断をしているのだろうか。
 馬を走らせ山の奥深くへ分け入りながら、ガッシュは自問自答する。あの日から何万回目かの自問自答。答えは見つからない。見つける気もなくした。
 峠をさらに幾つか越えて、別荘に着いた。
 何代か前、都に反乱軍が押し寄せたとき、皇帝を匿うためグラン家の先祖が作った屋敷だと聞いている。そのため、山深い辺鄙な地にありながらも、家の構えは立派なものだった。傷心の皇帝をなぐさめるためか、広大な庭には滝のある池まで備えつけてあった。それも、今となっては、虚しい遺跡のような印象を強める役にしかたっていない。
 こんな山奥の別荘が、今頃になって役にたつとは。
 ガッシュは苦笑する。
 とはいっても、先祖がこのことを知ったら、さぞあの世で腹をたてることだろう。皇帝のために作った別荘を、なんということに使うのだ、といって。
 門を抜けるとすぐ、誰かのわめき声が響いてきた。一瞬ギョッとして、ガッシュは手綱を引き絞った。乱暴なしうちに馬も驚き、さお立ちになった。かまわず、声のした中庭のほうへ首を向かせて横腹を蹴る。
 駆けつけてみて、ガッシュはようやく頬を緩めた。
 というより、プッと吹き出してしまった。
 中庭の中央にでんと鎮座している大樹。その根元で、ゴマ塩ヒゲの初老の男がぴょんぴょん飛んだり跳ねたりしていた。梢のほうに向かって拳を振り上げ、金切り声を張り上げている。
「下りてきなさい! 下りてこいというに! このっ、わしは医者だぞ! おとなしく医者の言うことを聞かんか!」
 地団駄を踏む老医師の姿に、必死で笑いを殺しながらガッシュは馬を下りた。
 並んで梢を見上げる。
「ジュダ!」
 大声で呼んだ。
 やはり彼はそこにいた。森に住むという悪戯な妖精のように、当たり前のような顔をして枝に腰掛け、足をブラブラさせながら面白げにこちらを見下ろしてくる。顔の大部分はあいかわらず包帯に覆われているが、その姿がちっとも悲壮に見えないところも、いかにも彼らしい。ガッシュと目があうと、彼は無事なほうの右目をきらめかせて、小意気に目くばせをよこした。たまらず、ガッシュも笑いだす。
「ガッシュ様! 笑ってる場合じゃないでしょう!」
 たちまち医師が目をつり上げた。
「あなた様からもなんとか言ってやってください! まったくあのろくでなし海賊ときたら、自分が患者だという自覚がこれっぽっちもないんですから!」
「ジュダ。聞こえただろう、降りてこい」
 ガッシュは笑いをかみ殺し、できるだけ怖い顔を作って医師に言葉を添えた。
「だって」
 木の上ではジュダが唇を尖らせる。
「そいつの治療、痛えんだもん」
 医師を指さして、子供のようなことを言った。彼のこういった言動に、不覚にもガッシュはいつでも笑わされてしまう。自分は意外に笑い上戸だったのかもしれない、と思った。
「治療が痛いのも薬が苦いのも、傷を治すためと思って我慢するしかないだろう? お前がぐずってると、先生が日暮れまでに都へ帰れなくなってしまうじゃないか。こんな山奥に、わざわざ往診に来てくださっているんだぞ。あんまり手を焼かせるな」
「ちぇっ」
 不満そうな顔はそのままで、けれどもジュダは案外素直に木から滑り降りてきた。その敏捷な動きに、ほお、とガッシュは目を見張った。前回はもっと動作がぎこちなかったように思う。文句をいいながらも、薬を飲んだり膏薬を張り替えたり、はちゃんと真面目にやっていたらしい。
「ずいぶん回復したようですね」
 ガッシュの言葉に、医師も頷いた。
「普段から荒事に慣れているせいでしょうな。筋肉の休め方をよく知っておる」
「先生の薬のお陰ですよ」
 ガッシュのお愛想に、医師はまんざらでもないふうで、なんのなんのと謙遜した。
「顔の傷のほうも、このまま予後がよければ、跡も残さずに治ると思いますぞ」
「やった!」
 木から降りてきたジュダが屈託なく歓声をあげた。
「この男前の顔に傷が残ったらどうしようかと思ってたんだ。よかった。全世界の女性のためにもお礼をいいますよ、センセー」
「なにが全世界の女性だ。口の減らないやつめ」
 ガッシュは苦笑する。
「そんなに感謝しているんだったら、無駄な抵抗をして先生を困らせるんじゃない。ほら、さっさと厨房へ行って先生のために湯でも沸かして来い。でもって、キャーキャー悲鳴をあげる心の準備でもするんだな」
「うっせえ! 人ごとだと思って」
 毒づきながらも、ジュダは片足を引きずりながら屋敷のほうへ歩み去った。その足取りも最初の頃よりはずっとしっかりしている。というよりも最初は、彼が自分の足で立てるようになるかどうかということさえ危ぶんでいたのだ。
 じっと見送るガッシュの視線をどう思ったか、医師は少し申し訳なさそうに言った。
「さっきも申し上げたように、左目の傷のほうは完治を約束できますが……あの足は、あれ以上には治らないかもしれません。なにせ踵の骨がグチャグチャに潰れておりましたのでな。伝説の名医カーダでも、あの骨を再生させることはかないますまい」
「とんでもない。命さえ失いかけていたのが、歩けるどころか木登りもできるところまで回復させていただいたのです。本人だってあんなふうですが、本当は先生に感謝しているんですよ」
 そんなことより、とガッシュはふところから金包みを出して、医師の手に握らせた。
「いやいや、ガッシュ様。このようなことは」
 医師が慌てて押し返す。
「私とて、先代からグラン家のお世話になっている身。しかもガッシュ様には、謀叛人の遠縁だということで処刑されかけたのを、皇帝陛下に取りなして救っていただいた御恩がございます。そのご恩の一端なりとお返しできれば、私にとっても望外の幸せというものですから……」
「いや、これはぜひ受け取ってください」
 ガッシュは強引に金包みを医師の手の中へねじこんだ。この金は単なる往診料のつもりだけではなかった。ここに海賊の死に損ないが匿われていると、知っているのはこの医師だけ。先代のしがらみや恩に着せるだけでは、ガッシュも不安だった。口封じの意味もあると、医師のほうもわかっている。しぶしぶといった感じではあったが、最後には金包みをかばんにしまいこんだ。
「では、先生。治療をお願いします」
 屋敷へ入っていく医師を見送りながら、ガッシュは大きなため息をついてしまった。
 まったく、なんだってこんなことになってしまったのだろう。龍騎将軍の旗艦〈暁の勝利〉を預かる提督であり、皇帝への忠義一途で知られたグラン家の跡取りてもある、このグラン=ガッシュが。よりによって、チンピラ海賊ごときを匿う羽目になるなんて。
 しかもあんな……と呟きかけて、またもガッシュは笑み崩れてしまう。まったく。あの海賊にかかっては、天下のガッシュ提督もただの笑い上戸だ。
 ガッシュはなおもクスクス笑いながら、自分もゆっくりした足取りで屋敷のほうへ向かった。

 そして、夜は酒盛り。
「おっ。待ってました!」
 ガッシュが取り出した酒瓶を見て、ジュダが目を輝かせた。
 あれこれ手柄をたてるたびに、皇帝から下賜された酒である。天下の逸品とは聞いていたが、一人で飲む気にもならず、かといって一緒に酒を酌み交わせる相手もなく、無駄に地下室で埃をかぶっていた代物だった。それをこんなふうに消費することになろうとは、ガッシュ自身も驚きだ。
 皇帝の褒美の品を海賊と分け合うことに、しかし、不思議に罪悪感はなかった。
 二人っきりの、だだっ広い屋敷の中である。円卓のある暖炉つきの立派な食堂を使うのもバカバカしいと、酒盛りに必要なものは全て、ジュダが寝室に当てている小部屋に運び込んでいた。必要なものといっても、グラスが二つとつまみの食料があれば十分。それだけで、夜更けまでにぎやかに過ごせる。
 もとい。にぎやかなのは、主にジュダばかりなのだが。
「乾杯!」
 陽気なジュダの声に、ガッシュもつられてグラスを合わせた。
 顔の傷もずいぶんよくなっていた。医師はそれでもクドクドと忠告をしていたが、頭部のほとんどを覆っていた大げさな包帯は外され、今は左目の上から大きなガーゼだけが当てられている。視線に気づいたジュダが、ぺろりと舌を出してガーゼの端をまくってみせた。左目を上下に縦断した一文字の傷が盛り上がって、派手なかさぶたになっていた。
「それでよく失明せずにすんだな」
 やや感心しながら言うと。
「このジュダ様を見くびるんじゃねえよ。あっやべえと思った瞬間に身体をそらして、顔の皮一枚切らせて刀をかわしたのさ」
「その素早さで、他の傷も皮一枚にすませたらよかったのにな」
「ちぇっ。軍人にゃあ冗談が通じないから嫌いさ」
 そう言いながらも、ジュダはいかにも楽しそうに笑う。その明るい笑い声につられて、ガッシュもつい笑ってしまった。笑いが笑いを呼んで、結局、二人で息が詰まるほど笑いこけた。バンバン背中を叩かれたので、お返しに肩を組んでやった。そうすると、ジュダはいつもくすぐったそうに身じろぎする。照れているのかもしれない。けれども、そういった猫じみた動作が、いかにもこの男らしいとガッシュは思っていた。滅多に人に慣れない猫が自分になついてくると、人はこんなふうに、やけに誇らしい気持ちになるものだろうか。
 酒を継ぎ足し、継ぎ足され。また乾杯する。この乾杯にもあまり意味はない。ただ、グラスをカチンと鳴らすのが楽しくて、何度も乾杯を繰り返した。
「あー、うめえ。こんなうまい酒、カムディン様の酒蔵にもないだろうな。これ一本献上しただけでも、皿くらいある宝石をご褒美にいただけるかもしんねえ」
「カムディンってのはそんなに酒好きなのか」
「だって、海賊だもん。海賊から酒とったら、船のうえでなんの娯楽が残るってんだい」
「賭け事とか?」
「まあ、よその船ではそういうこともあるだろ。けど、カムディン様は部下が船の上で賭け事をするのが嫌いなのさ。賭け事と麻薬はカムディン海賊団のご法度。万が一にも船の中でやってんのが見つかったら、一等航海士だってヒラに格下げさあ」
「ふうん」
 意外な情報に、ガッシュは目を丸くした。極悪非道の無法者だとばかり思っていたが、カムディンという男、案外ちゃんとした考えをもっているらしい。
 そのことを口にすると、当たり前さとばかりジュダは得意気に腕組みをしてみせた。
「そのへんの雑魚海賊と一緒にしてもらっちゃ困るぜ。カムディン様にはちゃんと軍師がついてるし、争いごとを裁く奉行もいる。しかも参謀連中はみんな字が読めるんだぜ! だから他の海賊団と違って、ちゃんと字で書かれた掟もある。配下のどの船にも貼ってあるから、機会があったら探してみなよ。それにさ……」
 と、勢いこんで話しかけてから、口を押さえてニヤリと笑う。
「おっとっと。その手はくわねえ」
「何が?」
「俺を酔わせて、カムディン海賊団の情報を漏らさせようってんだろ? おあいにくさま。そう簡単に、お前に手柄はたてさせねえからな」
 心外な非難にガッシュは鼻白んだ。
「俺は別に、そんなつもりは……」
「まーたまたぁ。ごまかしてもムダムダ! あんたみたいなマジメ人間がウソついたって、すーぐハラの底が透けて見えちまわあ。俺みたいな下っぱ海賊の生き残りをこーんなに大事にするのは、恩に着せといて、俺が情にほだされるのを待つ作戦なんだろ?」
 ジュダがケラケラ笑っているから、しかたなくガッシュもこの冗談につきあった。
「では、他に何をすれば情にほだされてくれるのかな?」
「お、でたね本音が。だったら、もっともっと俺を大事にしないとな。食料なんかもぶっとい骨つき肉とかにして、あんなサド医者じゃなくて、可愛い看護婦を十人くらいお付きにくれるとか。あ、できれば顔は童顔で胸がでっかい子がいいな」
「口の減らないやつめ」
「そっちこそ、下っぱ海賊にやりこめられてんじゃねえよ。天下のグラン=ガッシュ提督がよ」
 べえっと舌を出すジュダに、ガッシュはまたも笑わされてしまった。
 本当に、もう。この下っぱ海賊とやらは。
 最初は単に、生存者を見過ごしてしまうのが忍びないという、それだけの気持ちだった。その中にドルフ将軍への反発がなかったかといえば───自分でもよくわからない。
 結局、今回の軍事行動では、カムディンを捕らえるどころか、その船に追いつくことさえできなかった。あのドルフ将軍のことだから素振りには見せないが、今はたぶん、海賊を皆殺しにさせたことを後悔しているだろう。俊敏な行動を常とするカムディン海賊団の船を捕捉しただけでも、今回はたいした手柄だったのだ。これで全員を捕虜にして厚遇してやれば、ジュダの言葉ではないが、その中から一人や二人は、情報を漏らす者が現れたもしれない。
 もっともドルフ将軍なら、拷問のほうがてっとり早いというだろう。そうならなかったことを、ジュダのためにも喜ぶべきだ。
 口数の多さと心の勁さは関係ない。一見なにも考えていない尻軽な若者のようでいて、実はこの海賊は、心の芯の部分に揺るぎない自分というものを持っていた。陽気な言動の端々にその片鱗がきらめいて、ときおりガッシュはハッとさせられる。心の底を射抜くような真っ直ぐな視線に、己の逡巡を見抜かれたような気がして戸惑ってしまう。
 そう。逡巡。
 ここまで深入りしてしまいながら、ガッシュにはまだ、ためらいの気持ちがあった。皇帝陛下に忠誠を誓った自分が、海賊を匿っていてよいのか。いくら下っぱの雑兵とはいえ、海軍が総力を上げて追っている海賊団の一員を。
「どしたい。急に黙り込んで」
 気がつくと、猫じみたツリ目が下から自分をのぞきこんでいて、ガッシュはうろたえた。
「いや。なんでもない」
「頭のいいやつは、いろいろ考えることがあって大変だな。ま、俺みたいなのと喋ってるときくらいは、なーんも考えずぐだぐだしろや。お前がどんなに酔いつぶれて見苦しい姿になろうが、誰にも話さず黙っといてやるからよ」
「言ったな。酔いつぶれてぐだぐだになるのはどっちだ」
「ほーお。よい子の軍人さんが、呑み比べで海賊に勝とうってか。いいだろう。その勝負、受けてやらあ」
 俄然本気になったジュダが、ベッドの上であぐらをかき直した。ぐいとグラスを突き出され、苦笑しつつ酒をつぎ足す。自分のグラスにも同じだけついで、せーので煽った。
 楽しい、と思った。
 そう思ったこと自体に、微かな後ろめたさを覚えながら。

 ガッシュは父の跡を継いでから───否、士官候補生として宮殿の学問所へ通いはじめてから、一日たりとも自分の理由で休んだことはなかった。だから休暇は山ほどたまっている。旗艦が修理中なので、宮廷に出仕したところでなんの仕事もない。ドルフ将軍も今回の失敗がこたえたようで、このところは鳴りをひそめている。だから制度上だけでなく状況的にも、ガッシュがいくら休暇をとっても問題はないはずだった。
 それでも生真面目なガッシュは、やはり一泊か二泊という短い休暇の取り方をしてしまうのだった。
 前回の訪問からまだ三日しか経っていなかったが、たまたま市場で見事な骨つき肉を見つけたので、それが新鮮なうちに届けてやりたくなった。ついでにと、酒のつまみによさそうなものもいろいろ買い込んだ。馬鹿だな、と自分でも思う。けれども、ジュダが目を輝かせる様を思い浮かべると、また休暇を取って行ってやろうという気になったのだから、しかたない。
 いやしくも身分は提督なのだから、休暇の申請は部下に届けさせたのでもかまわなかった。それでも毎回、自分でドルフ将軍へ申し出ないと気が落ちつかないのは───やはり罪悪感のゆえかもしれない。
 けれども今日、ドルフ将軍はいつもの執務室にいなかった。
「おや?」
 ガッシュは眉をひそめて部屋を見渡した。
 ついさっきまで人がいた気配が、あちこちに残っていた。呑みかけの茶碗。床に散らばった書類。乱雑に放り出された椅子と、おかしな角度に押しやられたままの机。几帳面なドルフ将軍が、部屋をこんなありさまにしたまま外出するのは珍しい。
「あ、君」
 通りかかった下士官を呼び止めると、その人がグラン=ガッシュと知って、下士官はしゃちほこばって敬礼をした。
「なんでしょう、提督」
「いや……」
 休暇の申請に来たのだが、とはさすがに言いだしにくくて。
「ドルフ将軍は?」
「半刻ほど前に親衛隊の一団を引き連れ、なにやら慌ただしく飛び出して行かれましたが……」
 嫌な予感がした。
「あっ、提督!?」
 驚く下士官を振り返りもせず、身を翻して駆けだした。理由は説明できない。けれども馬小屋へ走りながら、胸の中にその不安がむくむくと広がっていくのを感じた。不安が喉までせりあがって、吐き気さえ覚えた。
「私の馬を出せ!」
 怒鳴りつけられて馬丁たちも驚いたが、そんなことに気を遣っていられない。馬丁がアタフタと鞍を準備しはじめるが、待ちきれずに愛馬の剥き出しの背へひらりと飛び乗った。
「て、提督!?」
 ぴしりと馬の尻を叩くと、そういう荒っぽい扱いに慣れていない馬もたまげて、猛然と走りだした。
 どこをどう走らせたか、よくわからない。
 けれども道は馬のほうがよく知っていた。ここしばらく、数日おきに通い慣れた山道だ。走っているうちに主人の気持ちが乗り移ってきたのか、馬も長い道のりをほぼ全速力で駆けきった。
 それでも、手遅れだった。
 最後の峠を越えると、丘の向こうから黒煙が上がっていた。とたんにまた、吐きそうになった。落ちつけ。自分を叱咤しながら黒煙のほうへ向かう。
 やはりそれはガッシュの別荘だった。
 門に駆け込むと、馬は自然に足を止めた。ガッシュも、目の前の惨状に唖然としながら、半分無意識のまま馬から下りた。
 まるで一個小隊が演習した後のようだった。草花は目茶苦茶に踏みしだかれ、木々には刀の切りつけた跡が無数に残り、建物の屋根では火矢がまだブスブスとくすぶっている。
 そうして、数日前にジュダがガッシュを笑わせた大樹の根元に。あの老いた医師が、呆然と座り込んでいた。
 彼はうつろな眼差しを宙にさまよわせていたが、ガッシュの姿を目に止めて、ハッと飛び上がった。
「お、お許しくださいガッシュ様!」
 地面にひれふし、悲鳴のような声で言い訳をした。
「将軍に……ドルフ将軍に責められて、白状せねば一族郎党を皆殺しにすると脅されて……ど、どうかお許しください……私は、私は言いたくなかったのです……本当に、ガッシュ様のために口を閉じていようと、私は精いっぱい……」
 近寄って見下ろすと、医師の指のうち何本かが無残に折れ曲がっているのがわかった。だからガッシュは、喉からほとばしりかけた罵声を呑み込んだ。
「─────ジュダ!」
 無駄を承知で、呼んだ。
 山から山へ声は虚しく反響し、かすかなこだまだけが、虚しくガッシュへ応えを返した。

              4

 拷問部屋は海軍の営舎ではなく、宮廷の大奥の一隅にある。
 元々は道ならぬ恋に陥った宮女や妃を責める部屋だったという。地下にしつらえられた石づくりのその部屋には、およそこの国の為政者が必要とした全ての拷問器具が準備されているとして、国民からも恐怖の的になっていた。
「とはいえ、ここで庶民を拷問することは滅多にない」
 ドルフ将軍は薄笑いを浮かべたままで言った。
「厚遇に感謝してもらいたいところだな、海賊」
「る……せえ」
 ジュダは食いしばった歯の間から、かろうじて言い返した。
 日もささぬこの地下室で、どれほどの間、拷問されていたかは、もはや定かでない。ただ、一生よりも長い時間に感じたことだけは確かだ。火責め水責め、生爪剥ぎに笞打ち。傷だらけになった体には、当然のように海水がぶっかけられた。このサディストめ。よく見えぬ目で、ジュダはドルフ将軍を睨みつけた。目の中に血が流れ込んで、視界はぼんやり赤かった。
 ふふん、とドルフ将軍が笑った。
「気丈なものだ。さすがはカムディンの部下、と褒めてやろう」
 鞭の先でジュダの顎を無理やりこじ上げる。
「だが、強情もいい加減にしたほうがいい。私がお前の命を惜しんで手加減すると思ったら大間違いだぞ。このまま責め過ぎてお前が死んだところで、また別の海賊を捕まえてくればすむことなのだからな」
「へ、え」
 ジュダはニヤリと笑ってみせた。
「ど……こで、つかまえるっ、て? まだその情報、さえ……吐かせらんねえ、くせに」
「黙れ!」
 鞭がうなった。
 二度、三度。鞭はそのたび、正確に同じ部分に打ち込まれた。血がしぶき、肉が弾けた。慣れてやがる、とジュダは心の中で舌打ちをする。実際には、舌打ちなどしている余裕などない。必死で歯を食いしばり、悲鳴を殺すのが精いっぱいだ。
 声さえ漏らさないジュダに、舌打ちしたのはドルフ将軍のほうだった。脇に控える部下の一人に顎をしゃくってみせる。部下は一礼をして、暖炉の中から真っ赤に焼けた焼き印を取り出して、恭しく将軍に手渡した。
 将軍は無造作にそれを、ジュダの太股の内側へ押しつけた。
「う───あっ!」
 さすがのジュダも、これにはこらえきれなかった。じゅうっと、人間の肉の焦げる嫌な匂いが広がる。体が勝手にえびぞり、鉄枷で磔台に拘束された手首と足首がひきつれた。
 無理やり引き出した悲鳴を、ドルフ将軍はさも満足そうに楽しんだ。焼き印をさらに、皮膚の奥へねじこむように押しつける。ジュダの足のつけ根に、皇帝の所属の印がくっきりと焼き付けられた。この印は奴隷のものでさえなく、皇帝所有の牧場で、家畜に押される焼き印だった。
「さてさて、これでお前も皇帝陛下の持ち物だ」
 いかにも楽しそうに将軍が言う。
「どうしてくれよう。馬のように、荷車につないで曳かせようか。牛のように、鋤にくくりつけて田を耕させようか。それとも豚のように、厠の下に落として人糞を食わせようか」
「ざ……けん、な」
 語尾が震えるのがみっともなかったが、それでも黙っている気はなかった。
「おまえに、できんのは……人を、責め殺すこと、だけさ。人、を……、従わせるの、は……もっと、難しいん……だ、ぜ」
「黙れ!」
 カッと目を剥いたドルフ将軍は、しかし、あまりに大人げないと思ったのだろう。振り上げた拳を下ろし、ゴホンと空咳をした。
「……なるほど、たいした強情者だ」
 口の端を持ち上げてニヤリと笑う。
「確かにこんなややつが相手では、グラン=ガッシュが苦戦したのも無理はない」
 その呟きに。
 ジュダは思わず、自由にならぬ首を無理に巡らし、よく開かぬ目を開いてドルフ将軍を見上げた。
 なんだ? こいつ今、なんと言った?
「おや、気づいてなかったのか」
 ドルフ将軍は肩をすくめた。
「では、私が思っていたよりもグラン=ガッシュは健闘していたらしいな。私はてっきり、やつの目論見がお前にはお見通しで、そのため効果が上がらないのだとばかり思っていたが」
「だ……から……!」
 焦れて、つい声が出てしまった。
「なん、の、ことだ!?」
「ふうむ」
 将軍は顎を撫でてしばし思案した。どう説明するか悩んでいるようだったが、やがてポンと手を打った。
「海賊。北風と太陽、という話を知っているか。いや、知らなければ教えてやる。詳しくは私にもつまびらかではないが、どうもこれは、西の蛮族に伝わる寓話らしい。話はこうだ。擬人化された北風と太陽が出てくる。あるとき、なんらかの情報を手に入れようと、北風が囚人を厳しく拷問した。だが、囚人は一向に口を割らない。困っていたら、太陽が手伝ってやろうと申し出た。そして、暖かな陽光で囚人を照らして、いい気分にさせた。気を許した囚人はうっかりと情報を漏らしてしまった……」
 聞いているうちに、心が急速に冷えていくのを感じた。
 それは、つまり。
 ガッシュは。
「だが、あの不器用者にそんな巧妙な真似ができるだろうかと、心配していたのだ、私は」
 目をうつろに見開いているジュダに気づかず、得々としてドルフ将軍は話し続ける。
「案の定、二十日たっても三十日たっても、まだ手こずっている様子。これはきっと海賊に意図を見抜かれ、いいようになぶられているのだろうと私は思った。あの真面目な男にやはり演技は無理だったのだ。そろそろ北風の出番だぞ、とな」
 その手のことを、ジュダは何度も冗談の種にした。
 けれどそれは、ありえない、と思っていたからこそだ。
 だからジュダは、彼の身の上を心配さえしていたのだ。提督ともあろう者が海賊を匿っては、まずいことになるんじゃないかと。こっそり屋敷を出ていくべきだろうかと、真剣に考えたこともある。あの別荘で将軍の部隊に捕まったときも、案じたのは自分の身ではなく、ガッシュのことだった。
 なんて馬鹿馬鹿しい。
 そういえば将軍は拷問のときにも、一度も尋ねなかったじゃないか。なぜジュダがあの屋敷にいたのかという、当然の質問を。それも当たり前だ。ガッシュが親切ごかしに瀕死の海賊を助けたのは、将軍の頭から出た策略に従っていたのだから。彼はただ、演じていただけなのだから。危険を冒して匿ってやるふりをして、ジュダが情にほだされるのを待っていたのだから。
 けれど。ああ。でも。
 それでは、あれも演技だったというのか。ジュダの回復に目を輝かせていた、あの喜びの表情も。いかにも彼らしくてジュダのお気に入りだった、あの穏やかな微笑みも。二人で酒をくみかわしたあの時間も。かわした言葉も、全て。
 人を見る目は、あるつもりだった。
 だからよけいに悔しい。腹立たしい。───胸が、痛い。
「どうした? 海賊」
 黙り込んでしまったジュダに、せせら笑いながらドルフ将軍が歩み寄った。
 再び、鞭で顎をこじ上げられる。
「〈太陽〉に甘やかされているうちに協力しておけば、こんなに苦しむこともなかったのだぞ。どうだ、今からでも遅くはない。カムディンのアジトを教えれば、またガッシュの屋敷に戻して、今度こそゆっくりと静養させてやるが?」
 のぞきこんでくる、その顔に。
 ペッ。と、ジュダは唾を吐きかけた。
「このっ……!」
 血相を変えた部下が、仕置き棒を振り上げて打ちかかった。しかしドルフ将軍は部下を手で制した。
 その手でゆっくりと、頬の唾をぬぐう。
「強情者め」
 ジュダの顎をつかみ、力任せに自分のほうへねじ向けた。抵抗しようとしたが、鉄のような指が顎の骨を締め上げて、首の筋を動かすこともできない。ジュダはそれでもひるまず、カッと目を見開いて、将軍を真っ向から睨み付けてやった。一瞬、将軍が怒りに眉を吊り上げる。だがすぐにその表情は不気味な薄笑いに変わった。
「……そうか。どうあっても協力できんというなら、仕方ない。だが……そうなると、ご丁寧に怪我を治してやったのは、完全な無駄だったということになるな」
 ジュダの左目の傷に、鉄の指が食い込んだ。
「では、これはグラン=ガッシュの手間賃だ」
 ふさがりかけていた傷痕が、無造作に引き裂かれた。痛みが灼熱の針となって脳天へ突き抜けた。最初の二倍の長さになった傷口から、赤黒い血がほとばしった。
「っあ、あ─────!」
 こらえきれぬ悲鳴が、ジュダの喉からこぼれた───。

 地下室の戸が、重くきしんで閉まった。
 背中にその音を聞きながら、ドルフ将軍は、朱に染まった己の指の匂いを嗅いで、鼻に皺をよせた。
 汚れた指を壁になすりつけ、肩をそびやかす。
 そのまま階段を上がって宮廷の中庭に出た、ところで、血相を変えて突進してきたガッシュと遭遇した。
「将軍!」
「おお、誰かと思ったら貴殿だったか」
 今にもつかみかからんばかりのガッシュをどう思ってか、ドルフ将軍はしごく上機嫌でガッシュに両手を広げてみせた。普段の彼なら、気の合わぬ部下に、こんなふうに開けっ広げな態度を見せることはない。
「これは奇遇だな。実は今、こちらのほうから会いに行こうと思っていたところだ。今回のことでは、まだ礼を言っていなかったからな」
「れ、礼……ですと?」
 さしものガッシュも予想外の言葉に気をそがれた。なんのことかさっぱりわからない。ガッシュ自身は、やっとのことでドルフ将軍の行方を突き止めて、そこが宮廷の拷問室だと知って、前後の見境もなく駆けつけてきただけのこと。唖然として、将軍をまじまじと見つめる。
 その肩をつかんで、将軍はいかにも親しげに笑いかけた。それから、いかにも内緒話らしく声をひそめた。
「正直に打ち明けると、私も今では、あのときカムディンの手下を皆殺しにさせたのはまずかった、と後悔していたのだ。よくぞ気がついてくれた。しかも私に内緒で密かに工作を進めていたところなど、たいした気の遣いよう。いやまったく、このドルフも脱帽だ。素直に感謝の言葉を送りたい」
 そんなことをだしぬけに言われて。
 ガッシュは、キョトンとするしかない。
「な……なんのことですか、それは」
「またまた! いまさらとぼける必要はないだろう。だが……欲をいえば、あんな強情なのを選ばなければもっとよかったな。ああ、いやいや、決して文句を言っているわけじゃない。あの修羅場で呑気に海賊を選んでいる余裕などなかったことは理解している」
 ようやく。
 将軍の言葉が脳にしみこんできた。意味も理解できた。
 瞬間、頭が沸騰した。
「あ……あ……あなたは……!」
 なんということを。
 怒りと憤りに、目の前が真っ赤になった。
 この男は、ガッシュがジュダを懐柔するため、おためごかしで救ってみせたのだと言っているのだ。しかも、こっそりと匿ってやるふりをして恩に着せて、情報を引き出して、それを自分の手柄にするつもりだった、と誤解しているのだ。
「私は……!」
 そんなつもりで彼を救ったのではない。
 と言えなかったのは、ここでそう言えば己の立場が悪くなる、と思ったからではなかった。ただもう怒りに喉を塞がれて、声が出なかったのだ。
 けれども将軍は、ガッシュの形相にも、声を詰まらせたことの意味にも気づかない。
「まあ、そう怒るな。貴殿が抜け駆けで手柄を立てようとする人物でないことくらい、私にもわかっている。私に内密で事を行っていたのは、一度出した命令を引っ込められぬ私の立場をおもんぱかってのことなのだろう?」
「ちが……」
「せっかくのその獲物を横からひっさらったことを、まだ謝っていなかったな。だが、これは別に、貴殿の手柄を奪おうと思ってのことではないのだぞ。あと十日もすれば皇太后の誕生日だ。その日に海軍からだといってカムディンの首を献上すれば、さぞや喜んでくださるだろうと思ってな。貴殿の懐柔もなかなか効果を上げておらぬようだったので、助太刀するつもりだったのだ。だが……あれは確かに、貴殿が手こずるのも無理はない」
 と言って、ドルフ将軍は肩をすくめた。
「正直、私もすでにあきらめた。あれは駄目だ。ああ強情ではどうにもならん。見せしめに処刑するくらいにしか、役にはたたんだろう。三日後、ということでよろしいか?」
「な……」
 ガッシュは絶句した。
「いま、なんと……?」
「だから、三日後だ。その三日間はずっと、北の港町の埠頭で、磔にしてさらし者にする。そして、三日後の昼の銅鑼が鳴りおわるのを合図に、縛り首にする。その旨を、すでに城下に触れを出すよう命じておいた。海賊の末路はこうなるのだということを、市民たちに肝に命じさせるのだ。……あのような小物に無駄な手間をかけさせられたのはお互い腹立たしいが、これで貴殿も少しは気が晴れるだろう?」
 親しげにガッシュの肩を叩き、将軍はからからと笑った。

             5

 海の全てを管轄するのが龍騎将軍ならば、陸の軍事を管轄するのは猛虎将軍───と呼ばれる老練な軍人だった。
 先祖は山賊上がりらしいなどという芳しくない噂はあるが、本人を見ればさもありなんと納得しそうなほどの、ぶっきらぼうのがさつな男である。しかし、少なくとも数代前からはれっきとした貴族で、一代で成り上がったドルフ将軍と違って、貴族独特の家系名も持っていた。
 その名を、アスト=リンゼンという。
 その、アスト=リンゼンの前で、ガッシュは苛立たしげに身を震わせた。
「だから、こんなことをしている場合ではないのです、私は」
 瞳には今にも自暴自棄に変わりそうな絶望が宿っている。それを知ってか知らずか、アスト=リンゼンは飄々とした風情で手の中の茶碗をくゆらした。
「いい匂いだろ? 今年の一番茶だ」
「アスト=リンゼン将軍!」
「リンでいいぜ」
「そ……そうじゃなくて!」
「世間じゃあ、何十年も蔵ん中に入れといた団茶ばかりをありがたがるがな。俺はこういう、摘んだばかりの葉で煎れる新茶も、なかなか捨てがたいと思ってんだ」
「リン将軍、ですから、私は……!」
「まあいいから、おめえもごくーっと一杯、飲み干してみな。……そうすりゃあ」
 と言って、将軍はキラリと片目を光らせた。
「皇帝への謀叛を起こす気も、失せるんじゃねえか?」
「なっ……」
 ガッシュは顔を真っ赤にした。
「だ、誰もそんな大それた、恐れ多いことを……私は、別に、そんなつもりは……」
「皇帝の名で吊られてる罪人を力任せに奪い取るってなあ、皇帝に対する謀叛じゃねえのかい」
 ズバリ指摘されて、ガッシュはウッと詰まった。
 将軍の言うとおりだった。どうすればいいと頭をかきむしり、闇雲に奔走しては自分が策謀の人でないことを思い知り。そうしているうちに、ジュダはドルフ将軍の命令どおり埠頭で磔にされてしまった。
 見物人に紛れて、ガッシュはその満身創痍の姿を見た。せっかく治りかけていた左目の傷が、無残に切り裂かれているのも見た。そのとき、もしかしたらガッシュは、悲鳴を上げたかもしれない。幸か不幸かその声は群衆の中でかき消されたし、ジュダも太陽にさらされて水分も与えられず、足元の群衆に目をやる余裕はないようだったが。
 そして、明日がジュダの運命の終わる日となった、今。自分にできるのは力づくの奪還しかないと思いつつも、重すぎるその決断に逡巡し、ガッシュはただ、物陰に隠れて、食い入るようにジュダを見つめていた。
 そこへだしぬけに現れたのが猛虎将軍アスト=リンゼンだったのだ。
 龍騎将軍と同格でありながら、アスト=リンゼンはドルフと違って宮廷のきらびやかな衣装もつけず、お供の一人も連れていなかった。ガッシュも本人が名乗るまでは、埠頭で働く平民の親爺だと思ったくらいだ。けれども言われてみればその顔には覚えがあった。ハッと畏まるガッシュに、しかしアスト=リンゼンはよせよせと仏頂面で言った。そして、強引にガッシュの腕をつかんで、自分の兵舎へ引きずってきたのである。
 兵舎といっても、ここは港町であって海軍の支配地域だから、どちらかというと出張所のような簡素なたたずまいだった。控えている兵士は一人だけ。しかもアスト=リンゼンはガッシュを中へ引きずり込むなり、しっしっといって兵士を追い払った。そして、手ずから茶を煎れてくれたのである。
「おめえの思い詰めた顔を見りゃあ、何考えてるかはすぐにわからあ。今にもサーベル抜いて、磔台に向かって斬りこんでいきそうなふうだったぜ」
「……すいません」
 ガッシュは肩を落として頭を下げた。元々、嘘をつくのは生来の不得手だ。それに、この人の眼力に対しては、どんな詭弁を弄しても無駄だと思った。
 龍騎将軍はこの陸の将軍をあからさまに嫌っていた。陸だ海だといっても、治安維持という仕事のうえでは重なる部分もあって、そのへんの意地の張り合いが不和の原因だというのが公式の見解だった。けれどもそれより先に、二人の性格のほうが問題なのだと口さがない者は噂していた。初めてこうやって対峙してみると、その噂にも根拠があると納得せざるを得なかった。なるほど。この聡明で辛辣な老将軍を、ドルフ将軍が煙たがるのも無理はない。
 言われるままに、茶を啜った。
 宮廷で珍重される古茶とはまるで違う、鮮やかな緑色をした茶だった。古茶に手の出ない庶民は、発酵していないこういう緑色の茶を飲むと聞いたことがある。けれどもガッシュがその緑茶を飲んだのは、これが初めてだった。
「うめえだろ?」
「……悪くは、ありません」
「こりゃあなんとも、貴族っぽい返答だねえ」
 アスト=リンゼンはクスクス笑った。
 しかしその笑いは場を和やかな雰囲気にするものではなかった。その証拠に彼はすぐにその片目をきゅっとすがめて、急に厳しい顔でガッシュを睨めつけた。
「その貴族サマが、なんでまた一介の海賊風情を救おうとして、あれほど思い詰めた顔して突っ立ってたんだ? 俺が止めなかったらおめえさん、ホントに謀反人になってたかもしれねえんだぜ」
「なぜだか……私自身にも、わからないんです」
 それが今いちばん正直な気持ちだった。
「罪悪感……なのかもしれません。私が救わなければ……彼は今、あのような目に合わないですんだのですから。それとも、責任感というべきか。彼を死の淵から救うことを自分に課した以上、最後までやりとげなくてはならない、という……」
「やっぱり貴族だねぇ、おめえさんは」
 アスト=リンゼンが首を振って嘆息した。
「なぜ……です?」
「だってさ。そのへんの平民なら、おめえみたいに頭を悩ませてないで、スパッと言っただろうね。あいつは俺の友達だ。だから助けたいんだ……ってな」
 ガッシュは驚きに目を見張った。
 友達。
 そうなのだろうか。ジュダは庇護すべき対象ではなく。哀れむべき犠牲者でもなく。ガッシュはいつの間にか、かの海賊との間に友情を育てていたのだろうか。だから今、これほど胸が痛いのか。自分の破滅を招く行動に、心がはやるのか。
「私とジュダが、友達……」
 ガッシュは呟いた。
「友達……」
 しかしその驚くべき思考は半ばで遮られた。
「───おい!」
 がたん、と椅子を揺らして、急に将軍が立ち上がったからだ。
 いきなりのことに、ガッシュも驚いた。けれども今は将軍のほうが、ガッシュよりもさらに驚いた顔をしていた。
「ちょっと待て。おめえ、今、聞き捨てならないことを言ったな。そいつの名前、なんつった?」
「え?」
「名前だよ、名前! その、磔になってる海賊小僧の名前はなんていうんだ?」
 目を丸くしたまま、ガッシュは答えた。
「ジュダ……ですが」
「参ったな」
 アスト=リンゼンが頭を抱えて突っ伏した。かと思うと今度は天を仰ぐ。
 そして彼は次に、ガッシュが危うく椅子から転がり落ちそうなことを言ったのだ。
「そりゃあ、下っぱなんかじゃねえ。カムディンの野郎が若手ん中でいちばん将来を嘱望してる、やつの秘蔵っ子だぜ」
 ガッシュはあんぐり口を開いた。
 ジュダが? まさか。
 しかし、もしそれが本当だったとしたら。
「で……では?」
「カムディンは、どんな苦労を払ってもそいつを取り返そうとするだろう、ってこった。わかるか? その意味が」

              6

 目撃者の話では、船は朝日と共に水平線から現れた、という。
 磔台の見張りたちは、その出現を見逃した。もっとも、気がついていたところで、彼らできることはほとんどなかったろう。なにしろ船は数隻が横並びになった物々しい登場で、しかもその全てが、数台の大砲を備えつけていたというのだから。
 一斉砲火に、北の港町は眠りから叩き起こされた。
「なんだなんだ、天変地異か?」
「いや、この世の終わりだ!」
 宮廷の海の玄関とも呼ばれるこの北の港が砲撃を受けるなど、町の住人は元より、駐屯している海軍でさえ想像だにしていなかっただろう。その証拠に、町よりも軍営のほうが大騒動になっていた。兵隊たちはおろか将校ですら、砲撃音を雷鳴と勘違いしてアタフタする有り様だ。さしものドルフ将軍でさえ、全体を掌握するには半刻ほどかかってしまった。
 しかも、彼がなんとか部下を叱咤して秩序を取り戻し、ふらちな海賊船と戦おうとしたときには───残念ながら海賊船は、尻に帆かけて逃げだしていたのである。
 そして、その半刻の間に。

 ガッシュが彼と遭遇したのは、偶然というしかない。
「───ジュダ!」
 思わず叫んでいた。
 ジュダの足が止まった。振り返った。目が合った。
 とたんにジュダは、自分を両側から支えていた海賊二人を突き飛ばした。予想外のことに見事に転んだ海賊の腰から、素早く小刀を引き抜く。そして、ガッシュが最初に見かけたときの、今にも倒れそうなおぼつかない足取りが嘘のように───けれどもやはり片足はひきずったままで───刀を振りかざし、ガッシュに突進してきた。
 かろうじて、ガッシュはサーベルを抜いて顔の前にかざした。小刀がサーベルの刃との間に火花を散らした。その向こうに、ジュダの顔が迫った。つぶれかけ血に汚れた左目と、憤怒に燃えた右目がガッシュを見据える。
「ジュダ!」
 ガッシュはもう一度、叫んだ。
 小刀とサーベルがガリガリと鳴った。やむなく、ガッシュはサーーベルを逆手にしてジュダの小刀をなぎ払った。下手な相手なら、それでバランスを崩して倒れていただろう。しかしジュダは、満身創痍の状態でありながら、直前で小刀を引いて飛びずさった。
 距離を置いて睨み合う。
「やめるんだ、ジュダ」
 強いて穏やかな声を出そうとガッシュは努めた。
「行きたいなら、このまま黙って立ち去ればいい。私はお前に追いすがったり、再び捕獲したりするつもりはない。そんなことをするつもりなら、最初からお前を助けたりは……」
「はっ! 何言ってやがる!」
 ジュダは憎々しげに怒鳴った。
「芝居はもう終わりだぜ、グラン=ガッシュ!」
 ああ、やはり。
 絶望に胸がつぶれた。
 だが、彼がそう信じてしまうのもしょうがないではないか。今さらどんな言い訳ができるというのだ。ジュダを助けたことは最初からドルフ将軍にばれていて。将軍の善良な勘違いによって執行猶予の時間が生まれて。そんなこととは少しも知らず、自分は完璧にジュダを匿っていると信じていて。その隠れ家を知らせたのもガッシュではなくて。全てが事実なのに、事実を幾つ並べても、真実を証明することはできないのだから。
「あんたの演技もたいしたもんだったよ。海賊風情を、本気で案じているような顔してな。俺ともあろう者が、危うくだまされるところだった。それだけは褒めてやるぜ」
 言われたくなかった。そんな言葉は。
 青ざめて、ガッシュはその場に立ち尽くした。
 彼のその様子を、ジュダはどう思ったろう。少なくとも真意が伝わらなかったことだけは確かだった。その証拠にジュダは、ガッシュが隙を見せたその瞬間を無駄にしなかった。身をひるがえし、再び襲いかかった。
 反射的に体が動いた。
 サーベルを撥ね上げて小刀を防いだ。だが、その動きはジュダに読まれていた。渾身の力で切りかかった、と見せたのはフェイントで、刃に沿って小刀を滑らし、手元へ迫る。
「───くっ!」
 とっさに肘を上げて角度を変えた。けれども、それもジュダの想定範囲内。あっさりと小刀を捨てたジュダは、空中でひらりと身をひねった。次いで、蹴りが繰り出される。ガッシュも身をひねってかわそうとしたが、かわしきれなかった。胸板をしたたかに蹴られて、仰向けに倒れる。
 地面に落ちた小刀を、着地と同時にジュダが拾った。
 そのまま真っ直ぐ、ガッシュの心臓目掛けて突き出される。
 考えている余裕はなかった。幼い頃から剣術の師匠にたたき込まれたとおり、ガッシュは腕を突き出して小刀を受けた。ずぶりと音がして、腕に刃が食い込んだ。血がしぶいた。
 腕に小刀を縫い付けられ、ジュダの突進が一瞬止まった。そこを狙って、ガッシュのサーベルがジュダの足首を薙いだ。
 足首。
 瞬間、ガッシュはハッと我に返った。ただでさえ完治は難しいと医師の言っていた足首。けれどもすでに手遅れだった。ジュダは横ざまにドウッと倒れた。深々と切り付けられた足首からは、骨までが露に見えている。
 そこへ海賊二人が加勢にこなければ、ガッシュは、自分が何をしていたか自信がなかった。もしかしたら前後の見境もなく、悲鳴を上げてジュダに取りついていたかもしれない。
「うおお、このクソ軍人野郎め!」
 ひげもじゃの顔を怒りに染めて、海賊が切りかかってくる。無意識に海賊と刃を交えながら、ガッシュはまるで自分が夢の中にいるように感じていた。
 夢なら、これは悪夢だ。
 それでも習い覚えた剣技は、やがて海賊を切り伏せている。息絶えて地面に倒れた海賊を尻目に、ガッシュは呆然と立ちすくむ。
 ジュダは、もう一人の海賊が助けて逃げたようだった。

              7

 海賊船ではカムディンお抱えの医師が、ジュダの足首に包帯を巻きながら首を振っていた。
「ああ、こりゃあいかんな」
「駄目ですか」
「うーむ。なんとか、足首を切断せずには済むだろうが……わしが伝説の名医カーダだったとしても、後遺症は覚悟してもらわなきゃならんな」
「しょうがねえですよ」
 ジュダは軽く答えた。
「俺のために一人が命を捨ててくれたんです。それを思えば、歩けるだけでもうけもんです。左目だって、ものは見えるし。恐ろしげな傷ができたら、海賊としてもハクがつくってもんでしょ」
 そう。全てのものには代償がある。
 これは、あいつを信じたことに対する代償。
 傷が痛むたび、思い出すだろう。己の甘さを。馬鹿さ加減を。海賊でありながら───海軍の提督と本当の友情を結んだなどと、愚かな錯覚に陥った苦い過去を。
「グラン=ガッシュ」
 ジュダは呟いた。
 許さない。絶対に。

 ガッシュは丘の頂から海を見やっていた。
 悲しくはなかった。
 ただ、ひどく悔しい───と思った。
 悔しい? 何が?
 ジュダから、一生許されないだろう憎しみを受けたことが。彼に誤解されてしまったことが。
「馬鹿な」
 力なく呟く。
 海賊ごときに誤解されたことを、どうしてそんなに気に病む必要がある?
 アスト=リンゼンなら、すぐに答えを教えてくれただろう。
 それをガッシュが認めるかどうかは別として。

| 星野ケイ | 星野ケイ | comments(3) | trackbacks(0) | pookmark |
おっと。キャスティング。

 新しく出た人だけでいいよね。

伝説の大海賊カムディン : サモハン・キンポー
グラン=ガッシュ提督   : ミウ・キウワイ
ドルフ将軍          : ドニー・イエン
アスト=リンゼン将軍   : ダニー・リー

もー。リン将軍かっこいいー。書いてる間身悶えするくらいかっこいいー。
(リン将軍は、実はカムディンと以前からの知り合いだ……という設定をシンディさんからいただきましたので、お知りおきを)
| 星野ケイ | 星野ケイ | comments(1) | trackbacks(0) | pookmark |